【プロ入り前の経歴】
神拝サッカースクール、西条北中学校を経て、高校はサッカーの強豪である東福岡高校に進学。
その後、指定校推薦で明治大学に入学。
それまでボランチでプレーしていたが、大学時代から右サイドバックにコンバートを果たし、この時代から全国区に頭角を表した。
2007年5月から、FC東京に特別指定選手として練習に参加するようになり、「厳しい環境で勝負したい」という長友の意思から、2008年に卒業を待たずしてFC東京と正式契約をする。
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【プロ入り後の経歴】
ルーキーイヤーとなる2008年から両サイドバックで主力として出場し、2009年にはJリーグベストイレブンを初受賞する。
2010年7月にセリエA(イタリア)のACチェゼーナへ移籍。
すぐに主力として定着し、状況に応じて両サイドバックで出場をしていた。
2011年1月に、シーズン終了まで名門インテル・ミラノにレンタル移籍。
ジェノア戦でセリエA初得点を記録し、更にUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメントに日本人史上4人目となる出場を果たすなど、記録と記憶に残るシーズンを過ごした。
2011年7月に、5年契約での完全移籍が決まり、監督交代があった中、最終的にはレギュラーとしてシーズンを終えることができた。
2013年は、名門インテルでの長きにわたる活躍が認められたのか、AFC年間国際最優秀選手賞に選ばれる。
2014-15シーズンには、インテルの副主将としてフィールド内外でチームを引っ張る活躍を見せる。
2017-18シーズンにて、インテル通算200試合出場を達成したが、若手の台頭から徐々に出場機会が激減しており、出場機会を求め、2018年1月にスュペル・リグ(トルコ)のガラタサライSKにレンタル移籍。
2月以降全ての試合でスタメン出場を果たし、チームのリーグ優勝に貢献。
2020年8月にリーグ・アン(フランス)の名門オリンピック・マルセイユに移籍し、酒井宏樹とチームメイトとなった。
2021年の9月にFC東京に復帰をし、30代後半とは思えない運動量で主力として活躍中である。
【日本代表としての経歴】
代表では、2008年の5月に初選出され、キリンカップのコートジボワール戦で初出場を果たす。
11月のキリンカップ・シリア戦でミドルシュートを決めて代表初得点を記録した。
同年の北京オリンピックに選出された。
2010年の南アフリカW杯に選出され、全4試合でフル出場を果たす。
カメルーン戦ではサミュエル・エトーを封じ、オランダ戦ではエルイェロ・エリアを封じるなど、エースキラーとしてチームのグループリーグ突破に大きく貢献。
2014年のブラジルワールドカップにも選出され、全3試合でフル出場を果たす。
2018年のロシアワールドカップに3大会連続で選出され、グループリーグ全3試合でフル出場を果たす。
3大会でワールドカップ11試合出場は、川島永嗣・長谷部誠と並んで日本人最多出場記録を樹立した。
2022年カタールワールドカップに選出され、フィールドプレーヤーとしては日本人初となる4度目のワールドカップ選出を果たした。
現在、日本代表戦137試合の出場は歴代2位の記録である。
【ストロングポイント】
1. 無尽蔵のスタミナから、迫力あるオーバーラップ
長友のプレーといえば、無尽蔵のスタミナで左サイドを駆け上がって、海外の大型選手と渡り合っている姿が思い浮かぶだろう。
ゴールラインまでオーバーラップした後、全速力で最終ラインまで戻るといったプレーを90分間フルでこなすことができるスタミナは長友のストロングポイントであろう。
だからこそ、フィールドプレーヤーとして日本人初となる4大会連続で選出されるほど、息の長い選手となっているのだろう。
全速力ドリブルで左サイドを駆け上がる姿は、170cmとは思えないほど存在感が大きく迫力がある。
2. 強靭なフィジカルから、大型の海外選手とも渡り合えるほどの対人守備の強さ
長友は、体幹がとても強く、180cm後半の大型選手とぶつかり合っても吹っ飛ばされないほどのフィジカルの強さを兼ね備えている。
小柄な体格だからこそ、大型選手の懐に体を入れてボールを奪うシーンをよく見る。
そして、倒れても体幹が安定していて、常日頃フィジカルトレーニングを怠っていないからか、立ち上がるのが早く倒されてもボールに喰らいつく姿は、見るものの心を震わせる。
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